イチロー先生の言葉。「無関心が一番辛い。嫌われることが大好き。」
誰かに嫌われるということは、その誰かが自分に対しとてつもない熱量、関心を持っているということ。一方、無関心というのは、その誰かの熱量が一切自分に向けられないということ、らしい。その言葉に出会った際、思わず唸ってしまった。
取引先の然る方。同じ職場の然る方。何故、そのように相手の神経を逆なでするような不必要な言葉を仕事のメールにちりばめるのか。何故、そのような物言いをして建設的な話し合いの妨げをするのか、と感じる場面に時折遭遇する。
送信者、発言者の意図を受け手が読み違えしている可能性も大いにありえる。しかし、結果受け手が不快に感じてしまったのであれば、メールの発信者、発言者にその意図がなくとも、その発信、発言方法は適切ではなかったのではないか。一方、そういった方々へ不快感を抱くということは、イチロー先生の仰る通り、無意識のうちにその方達へ受け手側の熱量、関心が向けられている証なのか。また、自身の発信、発言により不快感を抱く方がいた際は、その方の熱量が発信、発言者である自身に対し向けられているということでもあるのか。そのような考えを持つことは、ただ自意識過剰なだけなのか。
人生という限られた時間の中、出会う全ての方々に対し、熱量を放ち続けていては、家族や他に本当に熱量をもって接したいと思える人物に出会った際に、熱量不足に陥ってしまうのではないか、との思いに駆られる。しかし、そうは思っていても己の未熟さのせいか、特定の方々への関心を無にし、割り切った対応をすることがなかなかできない。ストレスを感じる相手に対し、いつでも積極的無関心モードを発動できるよう方法がないか。
車中で上述のようなことを思い巡らしつつ、家路を急ぐ。
道中、自宅近くのスーパーで妻より受けた牛乳&バナナ入手任務を遂行し、自宅へ到着。妻の膝の上で寝ていた息子を布団へ運び、鍋に僅かに残されたカレーを食べる。そして食後、妻、娘、私の三人でパズルに取り組む。床の上に屈みこみ、各々別パートを担当。小一時間程で完成。屈みこみでの継続作業で腹部を圧迫したせいか、放屁が止まらない、私の。放屁がもたらすほっこり家族団欒タイム。ありがとう。




断酒六日目。